SENSE OF PRESENSE – 世界は響きあうからだ –

人間と自然をつなぐ芸術–art–へ向かって。感覚・表現・交感のゆたかさを探求する旅のノート:松井雄一郎

2017-05-01から1ヶ月間の記事一覧

思考と感覚のフィールド(仮)

すごく個人的な感覚の話。粗い出来事って粗い思考のフィールドにしかのせられない感じ。正確には、出来事を粗く認識している時はというかんじ。そのフィールドだとあんまりスピードが出せないかんじ。状況をもっと細かく砕いて観てというか、写真の像ではな…

対話のメディアになる

たまった仕事を全てカバンに詰めて明日は岩手県・遠野にてNext Commons Labのみなさんとワークショップ。「対話のメディアをつくる」というタイトルです。実際には、自分たちが対話のメディアに「なる」という感覚にプログラムの焦点を定めつつあります。・…

workshop 『しあわせとしあわせを行き来する』のこと(2)

信岡良亮+松井雄一郎workshop session『しあわせとしあわせを行き来する』2017 5/27 土 17:00–21:00東京都内・六本木にて 記事の末に申込ページへのリンクがあります。(定員になりましたので募集を終えました) ・大切な友人、信岡良亮くんRyosuke Nobuoka…

身体の声をききはじめた日

初めて、カウンセリングの講座に参加したときのこと。 その講座は僕にとって 聴く人のあり方と 話す人の生きようとする力 の 関係 を徹底的に見つめる経験だった。いろいろ教えはあったんだけれど、なかでも「無条件の肯定的尊重」という感覚が、とても大切…

かたちになるまえのかたち

なにか発信したいことがあるのにバラバラとしたメモが散乱するだけでどれを差し出すということもできずブワッとした想いを抱えている。でもこうして、ブワッとした想いを抱えていられる空間があることがすごく大事なことだと思っている。すぐにかたちになら…

時間の在処

星の光は時間をこえて私たちに届いている。星はずっと遠くにいまもあるかもしれないしないかもしれない人の言葉も想いもそんなような感じがする。それが「いつ・どこで」光ったかということよりもその光が 私の 皮膚に 眼に 耳に 届いている「いま」という出…

優等生になれない場をデザインする

優等生として振る舞いたい自分がずっといた。 今も、その自分はいなくはないけど。だから、参加しているワークショップやクラス等で先生を慕えば慕うほど、その好み(これは幻想)になっていこうとする自分がいてそのこと自体が嫌になってその場にいられなく…

悠久の時間

悠久の時間というのは、はるか昔のことを言うのではない。はるか昔もいまも変わらない、あの時間のことだ。変化が緩やかであることを言うのではない。変化のなかにあっても変わらない、あの時間のことだ。伸び縮みして、目の前に現れては消える。それでも、…

『しあわせとしあわせを行き来する』workshop session

信岡良亮+松井雄一郎ワークショップセッション『しあわせとしあわせを行き来する』 5 / 27 土 17:00~21:00会場:東京・六本木定員 8名参加費 5,000円(詳細更新しました) お申し込みはこちらから https://www.reservestock.jp/events/189820 ●数年来、交…

自分の感覚を手放さずに生きていくために

自分の感覚を深めて、そのときの自分の感覚を信じてどんどん進んでみたらいいんじゃないかな。そこで出会う風景が、自分なのかもしれないし。その可能性を、どこかで見たイメージややりかたに絡めとられないように、とことん自分なりにやってみよう。… 数年…

記号の網の向こう

どんなに言葉を横に結んでいったとしても それが自分の体験・体感とつながらなければ 意味が人生に根を下ろすことはなくて 記号の網のようになって、いつのまにか 土の暖かさを覆ってしまうように思う。 その網の向こうに土があることを思い出す あるいは 土…

道ができるまで

道路ができる前に、車が走りはじめた。 けもの道ができる前に、動物がいた。 声が出る前に、喉がひらいた。 なにかの動きや経路が顕在化する前には かならず、その道を通るなにものかが 生き動きはじめている。 その軌跡が定着するまでには時間がかかる。 け…

男たちの歌

ふと、あの歌が歌ってみたい、と思い出した。歌いたい、なんて、僕にはとても久しぶりの感覚だった。 2013年、アメリカに行ってTaos Pueblo でセレモニーを観た。ビーズで編まれた美しい靴を履いた男たちが列を組んで、地面を踏みならしながら、うたを歌って…

グラフィックデザインをやめなければいけないと思っていた

グラフィックデザインをやめなければいけないと思っていた時期があった。 その頃の私は、「コミュニケーション」ということへの興味から、カウンセリングや対話、セラピーの手法にいろいろ出会っていく時期だった。 そこで経験する様々な感覚は、私がグラフ…