自分の感覚を手放さずに生きていくために
自分の感覚を深めて、
そのときの自分の感覚を信じて
どんどん進んでみたらいいんじゃないかな。
そこで出会う風景が、自分なのかもしれないし。
その可能性を、どこかで見たイメージややりかたに
絡めとられないように、とことん自分なりにやってみよう。
… 数年前、武蔵野美術大学で授業をしているとき
僕は、こんなことを感じ、伝えていた。
自分の人生を通して、集め、構築してきた
そのための方法を共有していた。
・
そして、そう言うからには
自分もそう生きようとしていた。
けれど自分の人生において
それを貫いていないというか
そうしていった先にちゃんと開ける場所があるよ
自分においては、その場所があったよ、と
感じられなくなったときに、
そう言える自信が揺らいだときに
僕は、若い人たちに
本当にそう伝えてもいいのか分からなくなり
ほどなくその仕事からは離れることになった。
・
自分の根幹にある美意識や姿勢と
自分の行動が離れていると
人は世界と自分自身への信頼を
見失ってしまうのかもしれない。
けれどそういう揺らぎですら
認めて、十分に感じきると
その先にはあらたな風景が見えてくるというか
たとえ根にある感覚は変わらなくても
ひとまわり鮮やかに確かに
それを手にしている自分がちゃんといる。
だから、やっぱりいつだって
自分なりの感覚を生きていいよ
それを手放さなくていいよと
言ってあげたい。
それでも、旅の途中でどうしようもなく
不安で、進めなくなるときもある。
もうやめたい、と思うときがくる。
そういう気持ちをすべてゆるしながらも
それでも
世界に対してあなたの心を閉ざす必要はない
ということを、無言で伝えていくのが
大人の仕事なんだといまは思っている。