SENSE OF PRESENSE – 世界は響きあうからだ –

人間と自然をつなぐ芸術–art–へ向かって。感覚・表現・交感のゆたかさを探求する旅のノート:松井雄一郎

記号の網の向こう

どんなに言葉を横に結んでいったとしても
それが自分の体験・体感とつながらなければ

意味が人生に根を下ろすことはなくて
記号の網のようになって、いつのまにか
土の暖かさを覆ってしまうように思う。

その網の向こうに土があることを思い出す
あるいは 土に触れる瞬間をもたらすのが
僕が興味がある芸術やデザインだと思う。

道ができるまで

道路ができる前に、車が走りはじめた。
けもの道ができる前に、動物がいた。
声が出る前に、喉がひらいた。

なにかの動きや経路が顕在化する前には
かならず、その道を通るなにものかが
生き動きはじめている。

その軌跡が定着するまでには時間がかかる。

けれどルートが無いからといって
その動き始めたものを否定することなく
あたためて、みがいて、育てて
あきらめないことだ。動かすことだ。

もしもそうやって30年待った末に
想像した風景とは違う道が開けたとしても
そこに命が動き出すならば
それを認める態度を自由と呼びたい。
無条件の信頼と希望をもって送り出したい。

いま、たくさんの友人たちが日本中で
まだ道のない生命を育てていることを
本当に心強く感じている。

みんな、がんばろうね。

男たちの歌

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ふと、あの歌が歌ってみたい、と思い出した。歌いたい、なんて、僕にはとても久しぶりの感覚だった。

2013年、アメリカに行ってTaos Pueblo でセレモニーを観た。ビーズで編まれた美しい靴を履いた男たちが列を組んで、地面を踏みならしながら、うたを歌っていた。

そのうちの1人、恰幅のいい威厳のあるひとりの男性に、言いようの無い憧れを感じた。どちらかというと自分は、繊細で柔軟な人に憧れるところがあるから、あの出会いは意外な感じだった。でもとにかく、あの風景、あの声に… 確かに魂を揺さぶられた。そのなつかしい振動が、久しぶりに、地面から僕の身体に響いてきている。

そう思ったきっかけは、久しぶりに『虹の戦士』の一節を開いたから。

自分にとって大切な態度… 自然や共時性に対する感受性が豊かで、この地上に堂々と存在し、互いの存在を、最大限に尊重している人間の像。自分にそれを見せてくれるのは「ネイティブアメリカン」の人たちの文化であることが多い。日本人に生まれたので、あちらとこちらと分けて考えていたところがあるけど。今日ふと、地球の仲間の一員として、その文化から学ぶのは自然なことだと素直に思うことができたのが嬉しかった。

(写真は Chaco Canyon)

グラフィックデザインをやめなければいけないと思っていた

グラフィックデザインをやめなければいけないと思っていた時期があった。

その頃の私は、「コミュニケーション」ということへの興味から、カウンセリングや対話、セラピーの手法にいろいろ出会っていく時期だった。

そこで経験する様々な感覚は、私がグラフィックデザインをしながら扱ってきた感覚よりも、はるかに個人の実存に関係があり、生きていく上で必要なものだと思えた。*1

もっと正直に認めると、グラフィックデザインを通して自分が得たかった自己肯定感は、自分の人生を通して為すべきものだということが分かった。

そ う思ってからは、世の中でもてはやされているように見えるデザイン(嫉妬!)は、もっともらしいけれども、自分の生存には響いてこない、人間の本質とは 関係ないところの、表面的な承認欲求のゲームのように思えた(いまは全くそうは思っていない:デザインは技術であり、意志や意図が大事だと思う)。

生存の直接経験から離れたくなかった自分が、デザインにもう一度向かっていくきっかけをくれたのは、写真だった。

やっぱり僕はデザインが好きで…、といよりも目に見えるものが好きだった。たまらなく好き。目に見えるんだから。この世界の美しさや、奥深さが。

それを教えてくれたのは、写真家 大橋弘さん。吉祥寺に食堂ヒトトが、まだ、あった。そこで出会った。日本の発酵食を撮り続けた写真の展「壷中の天」を、オーガニックベースの 奥津 爾くんが企画した。

いまはない、あの階段を上って。
壺の中の鮮やかな生命の世界に、釘付けになった。

それから、伝統食の乾物シリーズ「風がつくるもの」、全国の「野鍛冶」を撮った写真集、大橋さんのライフワークである苔の世界「moss cosmos」… たくさんの写真を見せてもらった。いくつか、デザインで関わらせてもらう機会もいただいた。素晴らしい経験だった。

僕にとって、大橋さんの見せてくれる世界は、名も無いむき出しの生命の美しさや激しさ、その向こうにある厳粛さや静けさを、写真家のエゴを被せずに、でも大橋さんの美意識で光を当てて、最高の純度で見る経験をさせてくれるものだった。

日常の感度では見過ごしてしまう生命の世界に出会わせてくれた。もう失われた風景にもそこで出会えた。いちど、その世界があることを知ってからは、その前の景色に戻ることは難しい。

ああ、そうだった。そこらへんから、僕とデザインの和解は始まっていた。

大橋弘さん http://www.hiroshiohashi.com/

オーガニックベース http://www.organic-base.com/

*1…そこで掴んだものは、確実に、デザインや感覚教育に持って帰って来ているのだけれど、それは別の機会にシェアします