対話のメディアになる
たまった仕事を全てカバンに詰めて
明日は岩手県・遠野にて
Next Commons Lab
のみなさんとワークショップ。
「対話のメディアをつくる」
というタイトルです。
実際には、自分たちが
対話のメディアに「なる」
という感覚にプログラムの焦点を
定めつつあります。
・
それは、自分のなかに
誰かと共有できる・
伝えあえる・響きあえる
対話と交感のスペースを設けることです。
そこには「正しいこと」だけではなく
まだ言葉にならない感覚も置くことができ
評価やノルマの意識は
手放していることができ
個人の考えを「ぶつけあう」のではなく
相手に「くっつきすぎて」自分を見失うのでもなく
自分の感覚を正確に感じたり
相手のことを共感的に感じたりしながら
次の瞬間を迎えられるような
そんな可能性が開けてくる空間です。
もしも、そのやり取りのなかで
あるときは間違った方向に進んだとしたら
「間違った方向に進んでいると思う」
と言うことさえできれば
私たちはあらたな航路を探ろうとすること
航路や目的地を変えることができます。
そういう、人と共有するスペースを
自分たちのなかにもてるんだ、という実感を
一緒に探っていきたいと思っています。
・
私の場合は、そういうことを
○○○法 などの、単一のメソッドを
共有することで実現するのではなく
紙をまるめてみたり
相手の話をきいたり、話したり
ごはんを分かち合ったり
音に耳を澄ませたり
呼吸や身体の状態を観察してみたり
いろいろな感覚をつかいながら
深めていきます。
こう書いてみて思うことは
これは、私の生き方、そのものだ
ということです。
・
背景には、私がこれまで集めてきた
いろいろなジャンルの経験があります。
・美術やデザイン、音楽の経験
(色・かたち・空間を扱うこと)
・造形と対話のワークショップ
・エンカウンターグループやカウンセリング
・ミーティングのファシリテーション
・象徴・イメージを扱うこと
・編集やライティング
・身体ムーブメント
・表現アートセラピー
・ボディワークやエネルギーワーク
などなど…。
美術教育やデザインの
15年以上の経験を土台にしながら
これらのいろいろな学びのエッセンスを
大切に集めてきました。
それを咀嚼して統合していくフィールドが
私にとっての「芸術」だったのだと思います。
本来、芸術は
評価する/されるためのものではなく
そのなかを、それとともに
生きるものだと思います。
・
私には伝家の宝刀のような
「メソッド」はないけれど
だからこそ 常に丸腰で
自分の感覚を手放さずに
この世界にひらいて生きていく
そのことにおいて
私は自分が生きてきた
これまでの時間と経験を
信頼していますし
いま、みなさんに
共有できることが
あると思っています。
この感覚にあるとき
私はこの身ひとつで
この世界を生きていける
そう思います。
ずっと求めていたその感覚を
やっとみなさんと分かち合えるのが
とても嬉しいです。
・
次のオープンなワークショップは
5/27 土 六本木にて
満員御礼:「しあわせとしあわせを行き来する」
http://matsuiyuichiro.hatenablog.com/entry/2017/05/20/000336
信岡良亮くんとやります。