悠久の時間
悠久の時間というのは、
はるか昔のことを言うのではない。
はるか昔もいまも変わらない、あの時間のことだ。
変化が緩やかであることを言うのではない。
変化のなかにあっても変わらない、あの時間のことだ。
伸び縮みして、目の前に現れては消える。
それでも、皮膚に触れている、もうひとつの空気のように
いつだって僕たちと一緒にある、あの時間のことだ。
その時間がひらくのは、人が心をひらいている時だ。
耳を澄ませているとき、目をあけている勇気があるときだ。
私たちはひらいた扉を行き来して
象徴の森や、感覚の海へと旅をして
いったい何をしようとしているのだろう。
そうやって世界の輪郭を手放したり掴み直したりして
なぜこんなにも、なにかを表現したい、
誰かに伝えたいと願うのだろう。
そう願うだけで、胸が苦しくなるのはなぜだろう。
この願いからこぼれおちる涙の水源が
たぶん、あの時間なのだと思う。
扉はいつだって、
私たちに開こうとしているように思える。