SENSE OF PRESENSE – 世界は響きあうからだ –

人間と自然をつなぐ芸術–art–へ向かって。感覚・表現・交感のゆたかさを探求する旅のノート:松井雄一郎

workshop 『色彩との対話』

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2017年 9月 2土・3日

workshop
『色彩との対話』

やっと、お知らせを書きます。

9 / 2(土)と3(日)に
都内でワークショップをひらきます。

このワークショップは
色彩をテーマにしています。

…と書いてみると
ほんとうにそうかな
とも思ってしまいます。

テーマになっているのは
色彩を感じている
色彩を捉えている
自分自身じゃないかなとも
思えるからです。

しかし

自分自身をテーマにしているか
と考えると、そうではなく
やはりテーマは色彩なのです。

それは
眼で見られる色彩であり
私たちの内なる色彩です。

内外ともに
色彩をただ色彩として扱うことが
私のワークショップでは
大切なことだと思っています。

色彩を
意味や象徴としてではなく
純粋に色彩として扱うなかで

自分の心の響きや信念が
照らされるように思います。

いいも 悪いも なく
きれいも きたないも なく
色彩をただ色彩として
見ることはできるのでしょうか。

人間にとって、自分の心を
観察や検証、そして対話の
直接の相手にすることは
とても難しいと思います。

いま感じていることを
「私はこう思うはず」
という概念が、すぐに覆ってしまう
ように思えるからです。

私たちはほんとうに
赤を、黄色を、黒を、白を…
「赤はこういう色」という
「概念」無しに感じることが
できるでしょうか。

今回のワークの肝は、
そこにあると思います。

色彩を丁寧にあつかうなかで
たしかになっていく
「自分の感覚とのつながり」。

意味ではなく感覚にとどまり
探求をすることは
ある意味での瞑想とも
言えるかもしれません。

目をつむって、
自分が黄に包まれているときと
自分が緑に包まれているときを
想い描いてみてください。

黒を身体のどこにおきたいか
白を身体のどこにおきたいか
赤を身体のどこにおきたいか
感じてみてください。

色をていねいに味わえると
眼から、色彩の発している力を
呼吸できるようになるような
そんな感覚があります。

そして、自分が
「その色彩に惹かれている」
ということへの信頼と精度が
高まっていきます。

色と色の組合せを
なんとなくの慣習のフィルターから
評価しながら観るのではなく

内なる感覚の調和とともに
味わうことができるようになれたら
素直に色彩とやりとりできます。

あるいはバランスにとらわれず
今日の偏りを楽しめるようになります。

感覚と存在と言葉をつなぎ
直感をたしかにしていくとき

もの言わぬ、意味をも纏わぬ
「色彩そのもの」に出会っていく
そんな作法が大切になると思うのです。

感覚が言葉に乗っ取られる前に
この感覚をもう一段階膨らませたい
そんな時に、私は色彩を頼りにします。

あるがままの感覚についていきながら
評価の感覚が働かない時間と空間。

それが、このワークショップの
基礎だと思います。

その時空で、ご自分の感覚に
新鮮に出会いなおして頂きたい

そして、世界の輝きが、
もっと真っすぐに
この眼に飛び込んでくる瞬間を
共有できたら嬉しいです。

「色彩との対話」と
タイトルを決めた
このワークショップでは

私の感覚と、隣にいる誰かと
世界の輝きと、色彩を通して
対話します。響きあいます。

ワークでは
色紙や、簡単な水彩を使います。
美術などの経験はもちろん不問です。

色彩に興味がある全ての人に
ご参加頂きたいと思います。

そして、色彩だけでなく
自分自身の感覚との繋がりや
他者との対話を深めたい方にも。

芸術教育に関わる方
アートセラピーに関わる方には
本当はもっと高い設定の価格で
提供したいプログラムです。

美大受験予備校での教育からはじまり
武蔵野美術大学などでの授業や
対話の場づくりやファシリテーションなど、
これまでの20年近い経験をシンプルにまとめた
自信を持ってお届けできる内容。

色彩との対話をしながら
自分の感覚の窓をひらく
そんな1日になればと思います。

 

●ワークショップ
「色彩との対話」

●日時
9 / 2 土 10:00–18:00
9 / 3 日 10:00–18:00

●参加費
13,000円(特別価格:材料費込)

●定員
各日 5名

●会場
東京・文京区千駄木
(詳しくは申込後に連絡)

●お申込方法
それぞれの日付につき、
以下サイトよりお申し込みください。
サイトでの申込 > お振込
の完了をもって受付完了となります。

9月2日(土):

https://www.reservestock.jp/events/209296


9月3日(日):

https://www.reservestock.jp/events/209299

以下、お申し込み前にご確認ください

◎キャンセル料について
参加者のご都合でキャンセルなさる場合にも
お振込頂いた参加費の返金は致しかねます。

ご了承のうえお申し込みください。

◎記録について
ワークショップ時間中に、写真を撮影したり
音声での記録をする可能性があることを
予めご了承ください。ご本人の承諾を得ずに
広報などに利用することはありませんので
ご安心ください。

◎材料について
ワークショップで使用する材料は用意します。
どうしても使用なさりたい画材がある方は
持参頂いても構いませんが、使用できない
可能性もありますので、ご了承ください。

 

 

instagram 

@yuichiromatsui_ • Instagram photos and videos

facebook

https://www.facebook.com/yuichiro.matsui.7

色彩に、もう一度、出会う[1]

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9月の 2・3(土日)に、色彩をテーマにした
ワークショップを開きます。
場所は未定。東京都内。

「色彩に、もう一度、出会う」

みなさんはご自分の色彩感覚について
どんな思いがありますか?

こうきかれたら、
どんなことを考えるでしょうか?

絵を描く・描いた時のことかな。
洋服の色合わせのセンスかな。
お弁当の色づかいかな。

どうかな…。

多くの人が、色彩感覚って言われたら
色彩を「選ぶ・使う」シーンのことを
考えるのではないでしょうか。

このワークショップで取り組むのは
その手前と、その先のことです。

ひとつは、自分が色彩を
「どう感じているか」ということ。
体感や、感情、イメージ、空間…
色彩は、その人の世界を照らしてくれます。
私が色彩を扱う時の基本の感覚を共有したいと思います。

そしてもうひとつは、
自分がみている・感じている色を
誰かに伝える、渡す…
ということです。

誰かの視線や評価によって
その色の輝きが変わることはない
という感覚を共有したいと思います。

私がワークショップで扱う「色彩感覚」とは
「自分がこう感じている」ということへの
「色そのもの」への信頼であり、
その確かさの経験です。

色彩は、誰かから与えられた目標を
きれいに描いてみせるためのものではないと思います。

色彩はただ、いつも、そこにある。

そういう安心のなかで
色彩をあつかう喜びに、豊かさに
出会っていくような時間になると思います。
 
 
・ 
 
  
自分のつくってきたワークのなかでも
かなり初期から取り組んできたテーマです。

バージョンアップしながら
だいぶ型が見えてきました。

いままで、ほとんどの場合
大学や美術学校などの教育機関でしか
やってこなかったものです。

今回はみなさんに共有するとともに
さらにもう少し先までいってみたいと思います。

詳細、またお知らせしていきます。

 

 

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デザインは、カウンセリングではないが、かたちの話だけでもない。

先日のミーティング仕事。

日当10万円は出したいくらいだよ、
と、トップの方に言っていただけたようで
良かった。

自分でも、それくらいの働きをしよう
と思っていたので、ホッとした。



その後、担当者(親しい友人)
とのやりとりのなかで、
これまでも感じていたこと
あらためて言葉にしてみた。

どんなことかというと。

クライアントワークの場合

とくに、組織や活動のコンセプトを
表現するような仕事の場合

分かりやすいのは、
会社案内のディレクションとか
ブランドやメディアの立ち上げとか

僕の仕事には
おおきく2つのレイヤーがあるみたい。

ひとつは
プロジェクト全体の方向を見通して
共有できるイメージやビジョンがある状態を
つくること。

必要であれば
その風景を描いたり言葉にすること。
これはだいたい、デザインと呼ばれている仕事。
 
 
もうひとつは、
ひとりずつのスタッフが
プロジェクトと自分の関わりを確かめていく、

あるいは、その人の軸に近いところから
主体的に関われる回路を確かにする、
そういう、

誇張していえば、
カウンセリングに近いような仕事。
 
これは、そうしようとしている、というより
ちゃんと話を聴いて、自分の想いも確かめて
場をともにしていると、そうなるしかない
というかんじか。

 
このふたつを、
デザインのプロジェクトの話をしながら、
水面下で同時にやってる、というのが、
自分でもよく分かる機会だった。

日当10万円は出したいくらいだよ、

というコメントを、私は
このことの両立への評価だと受け取った。
よかった。ほっとした。
ちゃんと感じてくれる人がいる。

治療を目的にしていないが、
極めて治癒的である、という芸術がある。
私はそういうのを本来の芸術だと思っている。

自分の仕事が、すこしでも
そういうあり方に近づき
同時にそのことが、ちゃんと伝えられて
受け取ってもらえたらいいなとおもった。

音と時間

最近、よく聴いているのは
500年前にイギリスの作曲家が
描いたものだという。

でも、私はこうして
その調べを聴くことができる。

このまえ、聖徳太子の御衣の端切れ
というものを見た。本当かは分からないし
声は聴こえなかったが、そうして
存在の余韻を大切に誰かが保ってきた。

500年前、1500年前。

子どもの頃、それはとても遠い世界だと
思っていたけれど、いまは、
わりと近いところにあるように感じる。


時間は線的に進んでいるだけのものでは
ないなとつくづくおもう。
そう認識することもできるけれど。

何百年もの間
誰も叩いていない鍵盤があったとして
その音は過去にあるのかといえば
いま、それは目の前にある。
もし、誰かがその音を弾くのならば。

この音楽を、すこしは違ったとしても
大きくは異ならない状態で
500年前の誰かも聴いていたとしたら。

そんなことを想いながら聴くのが楽しい。

 


The Best of Tallis

言葉にならない7月

7月はずっと閉じていた。

なにかが閉じているときは、


別の方向へ開いてるはず。

うまく言葉にできない時間が続いて


でもそれはとても重厚な時間で

私というものの輪郭が
意図せずにどんどん広がって

自分の意識がそれについていけないような
そういう時間だった。

なに言ってるのか
分からないかもしれないけれど

自分にはほんとうにそういう感じだった。

私、と呼んでいるものに、
しがみつこうとするんだけれど

ぼろぼろとはがれおちて
必死でもう一度掴んで

それでもはがれおちて
それでももう一度掴んで

やっと真ん中にあるものを抱きしめた
と思ったら

そのまま
それと一緒に宙を落っこちて


もう一度地面から、這い上がるように


ぼろぼろとはがれおちる壁に
手をかけては、

少しずつ進んで

だんだん意識が遠のいていく


そういう感じがする

 


そんな7月だった。

Dive into “...............”

ダンサーではない私たちには
身体があり、踊ることができる。
 
ミュージシャンではない私たちは
歌うこと、奏でることができる。
 
芸術家ではない私たちは
描くこと、かたちづくることができる。
 
作家ではない私たちは
書くこと、伝えることができる。
 
治療者ではないわたしたちは
癒すこと、調えることができる。  
 
私たちはこの日常に
そういう全ての可能性を与えられている。
 
 
行為と職業と収入とパーソナリティを
ぐちゃぐちゃにして
 
自分のやりたいことをジャッジするのは
もうやめていいんじゃないかな。
 
 
おおきくなったらなにになりたい?
って子どもに問うのではなく
 
 
ただただ

いま、なにがやりたい?

死ぬまで自分に問い続けたい。
 
 
そしてそれをすることを
自分に許し続けたい。
 
  
そうするなかで
 
 
やりたい という衝動は

輝きをまして

誰かと共有できるものになっていく
  
 
そういう可能性があるってことを
あらゆる年齢の子どもたちに
伝えていきたい。

 

たとえ人生が終わるころだったとしても
その気持ちを自分に許す瞬間は
可能なんだってこと

 

この世界の美しさと
あそんでいいんだよってこと

 

そういうことを
伝えていきたいな
 
 
 
たくさんの偉大な
あるいは無名の先人たちが
そうしてきてくれたように。

私もその流れにダイブします。

好奇心と生きる

好奇心て大事だよ。
生きる力みたいなものだと思う。

それを、日々のなかで
さりげないこと
誰からも褒められないようなこと
見つけられないようなこと
どんなことからでもいいから
ひとつずつかたちにしてみる。

最初はすこしは
練習がいるかもしれないから
できれば無目的で
誰のジャッジも受けないような
場があるといいけれど。

自分探しっていうものが
もしも必要だとするなら

なにを仕事にするか、とか
どこに引っ越すか、とかで
考えるんじゃなくて

そういうところから
やるのもいいと思うな。

すぐに答えを求めるのではなくて。
自分の好奇心や感覚に近づいていく
というところから。

そして、自分の動きに
ついていくことで
見えてくる風景がある。